「若者たちが溢れる渋谷の道玄坂を上がっていくと、旧山手通りと交差する向こうに豪邸の並ぶ青葉台の住宅街が見える。盛田昭夫の住む洋風の屋敷は中でも人きわ大きく、石造りの塀の上からサザンカの赤い
花が咲きこぼれ、よく伸びたケヤキの木が青い屋根に影を落としていた。
この邸宅にカラヤンが、すっかり成長して美しくなった2人の娘を連れてやってきたのは1977年の秋だった。
人付き合いが悪く、親しい人間は10人といないと言われるカラヤンだったが、なぜかソニーの盛田昭夫と大賀典雄とは、音楽やビジネスを離れて、珍しく親密なつきあいを続けていた。ドイツ人やオースト
リア人でも、カラヤンがそれほど心を許し合っている友人はほとんどいない。
「先生、プールが下にあります。いつでも使って下さい。私も泳ぎますから」
家族同士の挨拶が済むと、盛田は用意した部屋に案内しながら、カラヤンに言った。盛田邸には屋内の温水プールがある。
「ああ、それはありがたい。すぐ使わせていただくよ」
本拠地ザルツブルグでも公演では、カラヤンはコンサート当日も、アニフ村の自宅プールでひと泳ぎする習慣があった。体調を最高度に保っておきたいためである。
「お嬢さんたちも、よろしかったらどうぞ」
「はい、そうします。父に言われて私たち、水着を持ってきていますから」
妹のアラベルが言った。
アラベルはまだ13才だったが、抜けるように色が白く、眉も口元もカラヤンにそっくりだった。しかし豊かな金髪と、快活で好奇心の旺盛なところは母親のエリエッテから受け継いだものらしかった。
17才になる姉のイザベルは、大きな瞳でそんな妹を静かに見やっていた。イザベルはすらりとした大柄なスタイルと茶色の瞳は母親似だが、性格はどちらかといえばカラヤンに似ているようだった。
水球の選手が被るような青と白の水泳帽を付けた父カラヤンに続いて、輝くばかりの白い肌を見せて姉妹がプールに現れたのは、その日の夕刻だった。
姉のイザベルは黒ユリのような水着をつけ、髪は後ろに巻き上げていた。妹は毛糸で編んだ帽子でぴったりと干たいから耳を包み込み、水着は華やかなアラベスクの色模様だった。若い二人がプールサイドに立つと、周りがぱっと明るくなった。
父が泳ぐと、人魚のような姉妹が続いた。水しぶきとともに、ときどき姉妹の弾けるような明るい笑い声がこだました。
「そこにジャグージ(アワ発生装置)の浴槽がありますから、そっちへ入るといいですよ。お嬢さん達の肌が一段と美しくなる」
白い丸い帽子を被った盛田が、にこやかに言った。
大きな観葉植物の側でその様子を眺めていた大賀は、眼鏡をかけたまま、やおらプールにどぼんと足から飛び込んだ。それを見てイザベルとアラベルが顔を見合わせて笑った。
やがて泳ぎに飽きると、アラベルは盛田のすすめるアワ風呂にこわごわ入って、わっと声をあげた。足元から水泡が出て、全身をマッサージする装置である。
姉のイザベルが続いた。カラヤンも手摺りに掴まって入った。さらに大賀、盛田が入るとステンレスの浴槽は満員である。アラベルは湧き出す泡をおもしろがって手で掴もうと両手を開いたり閉じたりしている。唇が透けるように赤い。
ー中略ー
「うむ、このバブルはいいな。体中の筋肉がほぐされるようだ」
カラヤンは気持ちよさそうに目を閉じた。色白の皮膚は69才とはとても思えない張りがあった。スキー、ヨット、登山で身体を鍛えてきたからだった。」